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15th
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私たちの生活の中では、いろんな問題に突き当たる。
そしてその問題の対処方法を考えた賢人達は数多くいた訳で、それがいわゆる、「マーケティング論」であったり「恋愛論」だったりする。

今回は戦争について「戦略論」を紹介し、私的な解釈を加えてみようと思う。

今回紹介するのは、イギリスの著名な戦略研究家・戦史研究家、リデル・ハート提唱した戦略「間接的アプローチ」について。

これは、ルデル・ハートが古代ギリシャから第二次世界大戦に至るまで、様々な戦争を分析した結果、
「戦争は直接的アプローチよりも間接的アプローチが功を奏した場合が多い」という結論に達したという戦略論である。

では、直接的アプローチとはどんな戦術か?というと、真正面から力による闘いを挑む戦術である。
それに対し、間接的アプローチとはどんな戦術か?というと、真正面からの闘いを避け、様々な方法で敵のバランスを狂わせ、最も抵抗の少ない線に沿って、可能な限り相手の致命傷の部分を一気に叩くという方法である。
多くの戦争を考えてみると、「武器・兵力・資金」で圧倒的な殲滅作戦を使う場合、戦況が長期化し損害がでる場合が多く、逆に「武器・兵力・資金」が劣っていても外交的な手段や駆け引きなどの戦争とは関係のない方面で努力し、相手の隙ができた時に、敵の急所を最小の力で効率的に攻めたほうが勝率が高いらしい。
身近な例でいえば、アメリカとテロとの戦いであろう。
アメリカのテロに対する戦いは「力による制圧」であって直接的アプローチであるが、テロリストの戦いはアメリカの急所を狙う「間接的アプローチ」である。
この戦いの勝利がなかなかアメリカに見えてこない理由は、まさにテロリストが「間接的アプローチ」を駆使している点であろう。

いわば、拙著のBLOG魔性の原理(小倉優子論)の中で述べたイタチの「死のダンス」が間接的アプローチと考えて頂くと判りやすいと思う。

「死のダンス」とは、イタチが獲物のウサギに近づく場合、ウサギに敵が来たと悟られぬように、ウサギのようにピョンピョン飛び跳ねてウサギの周りを回る。ウサギの近くまで来ると、イタチは豹変して一気に獲物の喉を食いちぎるのである。
この「死のダンス」の決め手は、相手に悟られず、静に進行し、相手の急所の近くまで来て初めて攻撃を仕掛け、短時間に致命傷を負わせる点である。

相手の近くにいけないうちに攻撃を仕掛けたり、攻撃をしても急所に致命傷を負わせなければ失敗である。

戦国最強の軍団と言われた武田軍の「風林火山」もこの戦術であろう。
これは
「移動するときは風のように速く、静止するのは林のように静かに、攻撃するのは火のように。隠れるには陰のように、防御は山のように、出現は雷のように」と言う意味である。

この戦術は、孫子が考えた兵法であるが、実に素晴らしい。
まさしく「死のダンス」ではないか?
この「風林火山」の真の意味を理解していた武田信玄は、当然の結果として戦国最強に為り得たと思われる。
「風林火山」こそリデル・ハートの分析のとおり、「間接的アプローチ」の見本であり、最強の戦術なのである。

さて、この「間接的アプローチ」は、戦争のみならず、商売や恋愛、処世の上でもとても有効な戦略であろうと思われる。

たとえば、商売でお客様に正面から「この商品は、どこどこが素晴らしく・・・」という説明は「直接的アプローチ」であり上手い方法とは言えまい。
そうではなしに、バランスを狂わせ、最も抵抗の少ない線に沿って、可能な限り相手の致命傷の部分を一気に叩くという方法を考慮すれば、一例として「この商品を買わないと大変なことになりますよ」的なお客様の急所をついた製品の方が売れると考えられる。

これは、まさしく恐怖を動機として商売にする「訴訟産業」「健康産業」や「保険産業」が不況知らずな理由にもなるであろう。
しかし、間接的アプローチの有効性は「保険のセールス」に限ったことではない。
テレビや車や洋服すべての商品に、「この商品を買わないと大変なことになりますよ」の部分を附加できるかが重要なのである。

ところで大事なこと、当たり前のことであるが、それは、「風林火山」は戦争における略奪の方法論であって、人間関係を円滑にする人生論ではないということを忘れてはいけない。

すなわち、商売や恋愛、処世は、ある面「戦争=駆け引き=略奪」の要素もある訳であるが、結局人と人との感情によって成否が決定されるものであって、最期は「人と人との信頼関係がもっとも重要である」ということになろう。

この原則を忘れた「戦略論」は最初は成功するが、長い目で見れば、いつかしっぺ返しをされるということになるのは明白である。

では、このような戦略を勉強するのは無駄かというとそうではない。
なぜなら、生活の中でなにかしらの成果を上げたいと欲する場合には方法論が必要であって、その処世術として戦争の戦略論を応用することは極めて有意義なことであると考える。